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タブラをいつ、どこで、誰が発明したのか正確なことは明らかになっていません。
なぜなら、インド楽器のほとんどに言えるのですが、情報がたいへん不足しているからです。 タブラに関して、インドの歴史上あらゆる場所で、現在のタブラの基となったであろう楽器や、 タブラにとても類似した楽器が絵画によって残されています。
タブラの起源についての説はいろいろありますが、信憑性のある説を幾つか紹介していきます。
一般的に広く認められている説は、 イスラム教徒の侵略者たちによってインドにもたらされた楽器を進化させたという説。
タブラ(TABLA)は、アラビア語で太鼓を示すタブル(TABL)からの派生語であると考えられます。
インド亜大陸諸国の言語には、イスラム教徒の侵略以降、 相当量のアラビア語とペルシャ語が入ってきました。
タブラが外来の楽器であるかどうかの信憑性は不明ですが、 タブラと言う語が、アラビア語からの派生語であるという点は事実のようです。
アラビアやイランのイスラム教徒たちによってもたらされた説 タブラの原型で、アラビアやイランのイスラム教徒達によってもたらされたのが、ナッカーラです。
ナッカーラとは、対になった太鼓です。 本来イスラム軍隊が戦場で敵を脅かし味方を鼓舞させる軍隊の太鼓であり、 ラクダや馬の背に据え付けて、馬上の鼓手によって演奏されました。
ムガール帝国のアクバルによる遠征においても、同様の目的でナッカーラは使用されており、 数百人の鼓手が、ラクダや馬上にナッカーラを乗せて、木製の棒で打ち鳴らしていました。
ナッカーラにはいくつかの大きさのものがあります。 それぞれ名称があり、ダブルージャング、ドゥカル、ドゥッギ、クルッダック、ダマルなどがあります。
ナッカーラは宮廷での音楽、舞踊の伴奏や公式行魔ナの行進など、祝典で使われました。 アクバル帝もナッカーラをうまく演奏したとされています。
ナッカーラは宮廷での演奏に適するように奏法が洗練されていきます。 スティックは使われなくなり、音質、音量についてもより上品なものが求められ、工夫が重ねられました。
絵画によって明らかなのは、当時のナッカーラは腰紐によって支えられ立った姿勢で叩く点で、 皮の表面に張り付ける練り物(シャーヒ―)は、当時の全ての太鼓に付けられていたわけではなく、 あったとしても右側の太鼓にのみであった。
タブラはナッカーラを起源とする説で重要な点は、タブラの特徴である、 シャーヒーを使用するものがあった点と、左右対になっており、両手で演奏される点である。
13世紀アミール・フスローによって発明された説 13世紀のスルタン・アラウッディーンの宮廷楽m及び詩人であった アミール・フスローによってタブラが発明されたというっものである。
彼が砂時計の形をしたアワージと言う太鼓を二つにしたというのだが、
その頃の絵画や彫刻にタブラのようなものはなく、その信憑性はいま一つである。
18世紀アミール・フスローによって発明された説 18世紀、アミール・フスローはパカワージを二つに割ってタブラを発明したとされています。
同様にパカワージを二つにしたものでは、16世紀、とある演奏会で、 スダール・カーン・ダーリーというパカワージ奏者が、バグワン・ダースというライバルに勝てず、 楽器を地面にたたきつけた時に、二つに割れてタブラになったという逸話もあります。
このような逸話の信憑性は不明ですが、 インド古典声楽カヤールの伴奏をするにはパカワージの重低音域の音では固すぎるため、
パカワージを改良していく過程で、タブラが発明されたというのである。
古代インドからの流れをくむ土着の楽器という説 タブラの起源は、南インド・オリッサ州、BhubaneswarにあるMukteshvara Templeの 壁画に描かれている太鼓Pusukaraであると言われています。
壁画には、複数の太鼓を、座ってスティックなどを使わずに手で演奏していた様子が残っています。 南インド・マハラーシュートラ州、世界遺産のアジャンター石窟群の壁画には、 シャーヒーを張り付ける習慣があったことも示されています。
インドの古典舞踊・バーラタナーティヤムの基にもなったとされる、
著者:バーラタ の古代インドの演劇論書「ナーティヤシャーストラ」でも、シャーヒーの成分について語られています。 その当時すでにシャーヒーのある太鼓が一般的であったと考えられます。
タブラという楽器は、インド土着のものであるという可能性は大いにあります。
各説において、それぞれの起源に関する説は、現在のタブラを形づくる上で、 欠かすことのできない要素を含んでいます。
ナッカーラやドゥカル、パカワージなど、それぞれの要素が長い年撃を経て、 現在のタブラになったと考えるのが、確証はないまでも自然だと考えられます。
店主がインドのタブラ仲間に聞いた話では、パカワジの演奏会でライバルに勝てなかった悔しさから、パカワジを二つに割ることを思い立ち、より早スピードで演奏することが可能なタブラが発明されたと聞きました。
この話が一番インド人の好む仮説ではないでしょうか。
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参考文献:森山繁 論文 「タブラ」
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タブラとは、北インド古典音楽の打楽器です。 インドでは主要な伴奏楽器です。 調律は伴奏する楽器や声楽の主音に合わせます。
タブラは、二つ1組の太鼓で演奏するめずらしい打楽器。 右閧ナ演奏するタブラは、メインの高音パート。 左手で演奏するバヤンは、ビートのきいた重低音パート。(中には左右反対の人もいます)
わかりやすく言うと、タブラがギターで、バヤンがベースのような関係です。 タブラ、バヤン共に、叩く場所によって音を使い分けます。
例えばタブラの音で、「タ」「ナ」「ティ」「ティン」「テテ」「ティレ」…などがあります。 続いてバヤンの音は、「カ」「ガ」の2つです。
「タ」と「ガ」を組み合わせると「ダ」になり、「テテ」と「ガ」を組み合わせると「デテ」という音になります。
左右の音を組み合わせて、音のレパートリーを広げ、それらを組み立てていくことで曲になります。
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